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  第5回

2000年6月2日
カリフォルニア州 ロサンゼルス

 

Krewの皆さんへ

みんな、“センター・ステージ”は もう見てくれたよね! 僕自身は(2000年5月7日の)プレミア上映会で一回見たよ。(訳者注1) ビデオか、おまけのシーンが少し入ってるDVDも買うつもり。

映画撮影で良かったところは、ちゃんとしたセリフがあって、他の役者とのやりとりのある重要なシーン。 セリフのあるシーンは、あまり多くなかったから。 本格的な演技は初挑戦だったんだ。 サルサクラブのシーンは、派手なアクションやダンスは多かったけど、セリフが少なかった... 一番満足できたのは、他の役者とのやりとりのある場面だね。 登場人物になりきって、その時の彼が言うであろう言葉を言うべきタイミングで話し、その時の彼が考えるであろう事を考える... それはまさに魔法みたいな感じなんだ。 そんなふうに感じる瞬間があった。

残念なことに、そういう重要なシーンは幾つかカットされちゃった。中には、僕がとても気に入ってたシリアスなシーンもあったんだけど。 仕上がりは見てないけど、かなりいい感じに出来てたんだ。 監督のニック(ニコラス・ハイトナー)も すごく満足してたし。 ほんとにもったいなかったよ。 それは、ゾウイ(サルダナ)とのシーンで、元の脚本では、彼女には兄弟がいたんだけど、その兄弟の話がそっくりカットされちゃったんだ。 彼は2ヶ月間僕達と一緒に撮影に来てて、挙げ句の果てに全部ボツ。 映画の冒頭で5秒位映ってるけどね。 (オーディションの行われてる)教室を覗いてた男を覚えてるかな? そんな具合に、映画を撮ってる間ずっと一緒だったのに、彼は丸々カットされちゃったんだよ。 フェリーのシーンにも映ってるけど、そこはうまくカット出来なかったんだね。 脚本では、彼は死ぬことになってた。 僕は失業中の彼を、兄のリムジン会社に運転手として紹介する事になってたんだ。 彼はちょっとイカレた奴で、向こう見ずって言うのかな。 それで死んじゃうんだ。 で、僕はエヴァ役のゾウイに彼が死んだ事を知らせる。 それは僕にとっては重要なシーンで、演技も とてもうまく出来たし、ゾウイの演技もすごく良かったから、ほんとにやった値打ちのあるシーンだったんだ。 もう一つ、僕が兄から、彼が死んだっていう知らせの電話を受けるシーンもあったし。 そういう逸話が(本筋とは別に)あったんだけど、話が長くなりすぎて、納めきれなかったんだろうね。 映画は既に2時間を超えてたから。

楽しかったのは、サルサクラブのシーン。 僕にピッタリの役だったし、のびのび演れて、いい気分だったよ。 半分は僕自身で残りの半分がセルゲイって感じで、妙だったな。 ほんとはバック・フリップもやったのに、カットされちゃった。 30分間の撮影で、僕はダンスの間じゅう まるで気が狂ったようにジャンプしてたのに、僕が映ってるシーンは10秒くらいだよね。 でも実際は2分間のダンス・ナンバーで、最後にバック・フリップがあったんだ。 その2分間のダンスを何回も通しでやらされて、もうくたくただった。 ほんと、死にそうだったよ。 最後には、(バック・フリップなんか)もうほとんど出来なくなっちゃったのに、5回も6回も 「これで終わりだから」 って言われるんだ! 良いカメラ・アングルを探して(何度も撮影して)、しまいには、「オーケー、丸々一曲踊らなくていいから、最後の10秒間だけ踊ってからバック・フリップをやってよ」 って言うんだ。 僕は言われた通りにやったよ。 ほんとは dipのシーンもあって、相手役の女性が僕にキスしようとして僕が床に倒れるんだ。 それからヒップホップ・ダンスをやってバック・フリップで締める。すごくカッコ良かったんだよ。 仕上がりには みんな満足してたし、僕も見たけど、良い出来だった。 なのに映画には入れてもらえなかった。 まったく無駄だよね。

撮影セットで学んだ最大の事 ― それは、忍耐! 学んだって言うよりは、進行の遅さに驚くばかりだったんだけどね。 死にそうだったよ。 衝撃的だった。 僕のこれまでの人生の中で、こんなにスローな事は無かったから。 撮影に時間がかかるのは問題じゃない。 それは仕方のない事だから。 でも、誰も出演者の都合なんて考えてないっていうのは理解できないな。 いつ現場に入ればいいのか よく考えて、その時間に来れば撮影は出来るよね。 僕が朝の9時にそこにいる必要がないって事はハッキリわかる。 スタッフは僕に朝9時に来るように言うけど、僕の出番の前に3つもシーンがあれば、僕の撮影は午後5時になっちゃう。 しかも、どのシーンの撮影も ちょっとずつ押せ押せになって、どんどん遅れていく。 だから、セットに入るのが1時間くらい遅れても、全然平気なんだ。 一度にいろんな事が進行してて、いろんな人達が走り回ってるから、誰かがそこにいなくても誰も気が付かない。 みんなのスケジュールを管理するのは、ほんとに大変なんだ... 主役の人達のスケジュールは、専門の人が把握してるんだろうけど、たくさんの事が進行してるから、大変だよね。 特に、人混みの多いニューヨークの街での撮影では...。

僕の撮影初日は、(お披露目公演の)バレエに誰が選ばれるかが発表されるシーンだった。 大変だったのは、ロスで行われるスナップル・クリニック (訳者注2) に出る為に、僕はその日、ニューヨークからロスへ飛ばなくちゃならなかった事。 ケネディ空港を6:30に発つ飛行機に乗る事になってたんだけど、撮影の終了は5時頃の予定だったから、時間的に ほとんど不可能だった。 その日撮影するシーンは ほんのちょっとだけで、僕の出番は無かった ― エレベーターから歩いて来て左へ曲がって立ち去るだけのシーンだったんだ。 その撮影初日は土曜日で、僕は日曜日にロスでスナップル・クリニックをやって、月曜日にニューヨークに戻ってまた撮影に入ることになってたんだけど、色々トラブルがあって、週末に抜けるのは大変だったよ。

その日はニック・ハイトナーやその他のスタッフや出演者達と一緒に仕事をする初めての日だった。 顔合わせの後撮影に入って、監督のニックはアドリブを少し入れたんだ ― 「君はここ、君はこっちに行って... OK、君はスケジュールをチェックして、ここで出番だ」 っていう具合に。 ところが、僕は途中で引っかかっちゃったんだ... どういうわけか、僕がどこかへ行こうとしたら、監督が 「あぁ、そうそう、君はこのシーンでここへ来て、モーリーンも歩いて来るから、君はここで彼女に話しかけるんだ。 わかるだろ?」 って言うんだ。 僕は、そんな事、台本には書いてませんよ、とか何とか言ったんだけど、彼は、「わかってるさ。ここから別のシーンをやるんだ。いい感じだから。」 って言う。 その時僕は、1時間後の飛行機に乗らなきゃいけないのに、ここで2時間は釘付けになるだろうってわかったんだ。 監督が僕に、もっと演技をしてくれって頼んでるのに... しかも撮影初日だっていうのに、僕は「出来ません」 って言わなきゃならないなんて、本当に恥ずかしかった。 でも 「飛行機の時間があるので、もう行かなきゃならないんです」 って答えるしかなかった... 撮影セットには氷のような沈黙が流れて、みんなが 「奴は いったい何様のつもりなんだ?」 って目で僕を見てた。 で、彼らは 「いいよ、さっさと行けよ!」 って言ったんだ。それで どうにか飛行機に間に合った。 ギリギリでね。

もう一つ楽しかったのは、スポンジを投げ合うシーン ― ほんとに楽しかった! すごく危なかったんだけど。 バレエ教室の床がツルツル滑って、僕は大丈夫だったけど、サーシャ(ラデツキー)とシャキーム(エヴァンス)は そこらじゅう転げ回って... あんまりひどく転ぶもんだから、撮影が台無しになるところだった。 それくらい可笑しかったんだ! 死ぬほど可笑しかったのに、作品からはカットされちゃった。 出来上がった作品を見ても、このシーンはとてもよく仕上がってて、僕自身も嬉しいよ。

でも、僕が 「私は あなたの奴隷です...」 って言うシーンはね〜。 あれはすごく馬鹿げてる気がした。 おかしな事に、台本では ちょっと違和感があったんだけど、結果的には満足出来る仕上がりになった。 あのシーンは、しっくりいってない気がしてたので、プレミア上映会の時、すごく心配だったんだ。 このちょっとしたシーンのアイディア自体 ― つまり、バレエのレッスン中に大声を出すなんて事は、現実にはありえない。 少なくとも僕にとってはね。 アメリカではどうか知らないけど、ロシアでは、レッスン中は たとえ囁き声でもクラスから放り出される。そのくらい厳しいんだ。 だから、あのシーンは僕にはどうも納得いかなかったんだけど、出来としては良かったね。

すべてが とても良い経験だった。 待ち続けなきゃいけないっていうマイナス面を考えなければ、だけど...。 とにかく良かったよ。 映画そのもの、それに(自分とは別の)人格を創り上げて、それになりきるっていう事がね。 僕の場合は、悩むほど難しい役じゃなかったけど... 大役じゃなかったから。 この役で、もう少しやってみたい事もあったんだけど、それは やらせてもらえなかった。 大きなプレッシャーっていうわけじゃないけど、新しい事を試してみたり、アドリブをちょっと入れたりする余地はあった。 この映画を撮ってわかったのは、演技がほとんど即興で行われるっていう事。 監督達は、何々をしろ、とは全然言わずに、ただ役者を現場に立たせるだけで、あとは役者任せなんだ...。 セリフを言う前に、もう演技は始まっていて、自分の役にエネルギーを集中しなきゃならない。 それはすべて役者次第なんだ。 自分がそれを出来なくても、誰も代わってやれないし、誰も何も言わない。 例えば、4人のダンサーと僕が一緒に座っていて、エネルギーを集中出来ていないとする。 僕ら自身も それがわかっているのに、誰もどうすることも出来ない。 みんな、「エネルギーを集中し続けるんだ」 って言うけど、どうしたらいいんだろう。 ダンサーにとっては、それは踊る事なんだけど...。 そういう状況を乗り切って、うまく出来た時は、とても良い気分なんだ。

勿論、演技は もっとやってみたいと思ってる。 オーディションも幾つか受けた ― 大きな役じゃないけど、テレビのを幾つかね。(オーディションの)返事はすぐには来ないけど、スケジュールや役柄についても検討してみるつもり。 時間のある時は、演技のクラスにも通ってるんだよ。

舞台をやる事についても訊かれるけど、それにはとても時間を取られるので、考えてない。 ライブでやる場合は、一回限りの舞台で終わりっていうものじゃなくて、その為にたくさん練習を重ねなきゃいけないでしょ。 ひょいと舞台に現れて演技するわけじゃなく、真剣にそれに打ち込まなきゃならない。 勿論、それはそれで楽しいけど ― 大きなチャレンジだと思うな。 (スケートの)演技は今迄ずっとライブでやってきたわけだから、(生の演技に)どういうふうに取組むかは僕も少しはわかっているつもり。 だからこそ、映画も好きなんだ。 幾つものテイクがあって色々なことを試せるし、一度にたくさんの事を覚えなくて済むからね。 みんな舞台より映画の方を随分高く評価するけど、舞台の方が100倍も骨の折れる仕事だよ。 何て言ったらいいのかな... 何と比較したらいいのかわからないけど、舞台をやる方がずっと大変で、遙かに難しい事だと思う。 映画を撮るより 二段階くらいレベルが上だね。 映画には誰でも出られる ― 僕や他のバレエダンサー達のような新人でも ― 誰でもうまく取り繕うことが出来るけど、舞台の場合は、ただ出て行って演るってわけにはいかないんだ。

ロスで行われた “グラディエーター”のプレミア上映にも行った ― 印象深い作品だったよ。 とても良かった。 歴史ものって どれも好きなんだ。 その場にいるような気分になって、その時代は実際にどんなふうだったのか、わかったような気になったね。 素晴らしい映画だったよ。 ただ、「観客を惹きつけなきゃならない」 なんていうセリフは、ちょっとアメリカナイズし過ぎだけど。 剣闘士がそんな事を気にかけてるとは思えない。 少しでも長く生き延びる事に精一杯なんだから。 誰が良い試合をするか、とか、観客の事なんか一切関係無い ― 考えてるのは、ただ自分が闘う相手の事だけだと思うな。 自分が相手よりも100倍強いという自信があってはじめてリラックスして観客の事を考える余裕が出るんだ。 でも、楽しい映画だったよ!

撮影セットの囚われ人 ’99 〜 イリヤ・クーリック (訳者注3)

Iliushka


訳者注1) “センター・ステージ” は2000年5月から全米で公開され、日本では1年遅れの2001年5月公開となりました。
2000年5月7日にニューヨークで行われたプレミア上映会の様子や映画に関する情報は、
“Center Stage” World Premiere をご覧下さい。

訳者注2) この時のスナップル・クリニックのイベントの様子は、Snapple Skate with the Stars, LA をご覧下さい。(イリヤやタラ・リピンスキー等のスターが子供達にスケートを教えたり、一緒に写真を撮ったりしました)
この前年にも同様のイベント
Snapple Refresher Skate with the Stars が開催されました。

訳者注3) この、“Movie trailer prisoner '99 ~ Ilia Kulik”って、往年の映画のタイトル 「プリズナー・ナンバー9」に引っ掛けた、お茶目なジョークですね。 (^_^)

翻訳: Junko Suwa 

 

Ilia's 
Journal

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Entry #5: 
June 02, 2000

Entry #4:
October 22, 1999

Entry #3:
May 22, 1999

Entry #2:
October 26, 1998

Entry #1:
July 8, 1998

 

 

 

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